上級読解クラス · บทความจริง苅谷剛彦・西研「教育とはなにか」 · 8 段落 / 18 文📖 ฝึกอ่าน🏠 Library
苅谷剛彦・西研「教育とはなにか」
คิดด้วยกัน — การศึกษาคืออะไร
段落 1問題提起・仮定義

S1まず、教育きょういくとは何なにか、ということからぼくたちは考かんがえてみよう。S2さしあたってぼくは、教育きょういくとは、子こどもを「社会しゃかいの成員せいいん(大人おとな)としてふさわしい存在そんざい」へと育そだて上あげていくこと、と定義ていぎしてみたい。

段落 2一般化・前提

S1どんな時代じだい、どんな社会しゃかいの人ひとびとでも、子こどもを大人おとなに育そだて上あげなくてはならなかった。S2そのさいには、①社会しゃかいの成員せいいんとして「ふさわしい」あり方かたが何なにかしら想定そうていされていて、それが教育きょういくの営いとなみを導みちびいていたはずだ。

段落 3分類・具体化

S1その「ふさわしさ」は、大おおきく二ふたつに分わけられるだろう。S2一ひとつは、働はたらいて食たべていけるために必要ひつような能力のうりょく、つまり農民のうみんなら農民のうみんとしての、漁民ぎょみんならば漁民ぎょみんとしての、技能ぎのうや知識ちしき。S3もう一ひとつは、他ほかの人ひとびとのあいだでふさわしいふるまいができること――基本的きほんてきなルールを守まもり、他ほかの人ひとびとと協力きょうりょくする態勢たいせいをとれること、自分じぶんに与あたえられた役割やくわりを果はたし、その責任せきにんをとれること等々とうとう、つまり、他者たしゃとの関係かんけい能力のうりょくである。

段落 4問い・定義

S1では、現代げんだい社会しゃかいにおいては、どういうことが「大人おとなとしてふさわしい」のだろうか?S2教育きょういく理念りねんを構築こうちくするとは、このことをあらためて考かんがえ、かつ共有きょうゆうしようとすることに他ほかならない。

段落 5困難の指摘

S1だが、この「共有きょうゆう」ということはなかなかむずかしい。S2そこには、社会しゃかいのあり方かたと人間にんげんの生いき方かたをどのようなものとして思おもい描えがくか、つまりは、異ことなった社会観しゃかいかん·人間観にんげんかんがさまざまに入はいり込こみ、衝突しょうとつしてくるからだ。

段落 6反論紹介

S1たとえば、ぼくが最初さいしょにあげた「教育きょういくとは、子こどもを社会しゃかいの成員せいいんとしてふさわしい存在そんざいにすることだ」という定義ていぎに対たいしても、②反発はんぱつを覚おぼえる人ひとがいるだろう。S2反発はんぱつを覚おぼえる人ひとは「それは、社会的しゃかいてき期待きたいに子供こどもを添そわせようとするよくない発想はっそうだ。教育きょういくとはむしろ、子供こどもの主体的しゅたいてきな判断力はんだんりょくを育そだてるものだ」というわけである。

段落 7再反論

S1この意見いけんはしかし、「社会しゃかいの秩序ちつじょにただ従したがうだけでなく、主体的しゅたいてきな判断はんだんのもとにみずからの人生じんせいをつくりあげ、社会しゃかいのあり方かたをも批判的ひはんてきに検討けんとうする人間にんげんこそが社会しゃかいの成員せいいんとしてふさわしい」という近代的きんだいてきな人間観にんげんかんにもとづいている。S2これもまた、社会しゃかいの側がわが子こどもたちに寄よせる「期待きたい」の一種いっしゅだと言いわざるをえない。S3そして子供こどもを放置ほうちすれば主体的しゅたいてき·批判的ひはんてきな人間にんげんになるはずもないから、社会しゃかいはそのように「育そだて上あげ」ようとしなくてはならない。

段落 8結論

S1いずれにせよ、教育きょういくというものは、社会しゃかい(大人おとな)の側がわが子供こどもに寄よせる期待きたい、もっと強つよい言いい方かたをすれば、ある種しゅの強制きょうせいから自由じゆうではない、とぼくは考かんがえる。S2重要じゅうようなことは、「この社会しゃかいの一員いちいん、つまり大人おとなとして生いきていくうえで何なにが必要ひつような条件じょうけんなのか」ということをきちんと見定みさだめ共有きょうゆうしたうえでの強制きょうせいであるかどうか、という点てんなのだ。

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